血漿分画製剤のいろいろ

血液製剤・血漿分画製剤・血液製剤が必要となる病気の種類などを学ぶことができます。

血漿分画製剤のいろいろ

アルブミン製剤

アルブミン製剤の開発の経緯

アルブミン製剤は、第二次世界大戦(1939~1945)のさなかに、最初の血漿分画製剤としてアメリカで誕生しました。その当時、アメリカ政府は、祖国から遠く離れた異国の戦地で負傷して多量の出血をし、輸血を必要としている兵士の生命を救うために、遠隔地で使える輸血液(血液製剤)の開発を至上命題と考えていました。

この時代は、1900年にランドスタイナーがABOの血液型を発見し(後にノーベル賞を受賞)、医学的に適切な輸血が広まりつつある、いわば近代輸血の黎明期でした。ABO血液型の発見で不適合輸血による重篤な副作用は解決できましたが、しかし輸血にはいまだ使用にあたっての注意しなければならない副反応などの問題がありました。

採血された血液は血液型別に分類され、血液型の合う患者さんに輸血されます。この一連の医療の流れの中で、当時の輸血の問題としては、次のような点がありました。

  • 1.採血時に供血者の皮膚上の細菌などによって、採血された血液が汚染される。
  • 2.血液は、体外では時間とともに変質し、凝血を生じ、安定性が極めて悪い。
  • 3.供血者が潜伏感染していた場合、肝炎などの輸血後感染症を引き起こす。

戦地で負傷し、出血の著しい兵士を救うためには、このような課題、血液の保存安定性や感染症の問題などを解決することが必須でした。

血液の保存安定性向上の対策として、1918年のアメリカではすでに、保存血液による輸血、1936年には血液成分輸血が開始されました。1939年には凍結乾燥血漿製剤が開発されましたが、実用には至りませんでした。

アルブミン製剤の開発ミニ年表

このような輸血に関する技術開発の流れの中で、1941年より始まったハーバード大学のコーンらの精力的で精緻な研究が、今日の血漿分画製剤の礎を築きました。かれらの方法は「コーンのエタノール分画法」と呼ばれ、工業的規模の生産にも合致する画期的なアルブミンの精製法となりました。低温下で人の血漿にエタノールを加え、エタノール濃度やpH、温度などの条件を変えながら、血漿に含まれる主成分の一つであるアルブミンをその他のタンパク質から分離して、精製していきました。この方法により純度が98%以上の液状アルブミン製剤を製造することが可能となりました。この方法で製造されたアルブミン製剤は、実際輸血を必要とする負傷者に使用され、救命に役立ちました。

エタノール分画法

しかし、程なく大きな問題が明らかになりました。当初、コーンのエタノール分画法では、殺菌効果のあるエタノールを使用し、アルブミン以外の不要なタンパク質や病原体が不活化・除去されるため、アルブミン製剤は病原体フリーと考えられていました。これは細菌などほとんどの病原体については、確かに事実でした。ところが、エタノール分画による精製アルブミン製剤の輸注を受けた負傷者によもやの肝炎の発症を引き起こしました(これはかなり後年になって、ウイルス性肝炎によるものということが分かりました)。

この事実を受け、アルブミン製剤の更なる改良のための研究が進められました。模範としてとられたのは、ワクチン開発の創始者の一人、パスツールの低温殺菌法でした。この方法は、食品や牛乳の殺菌などに応用されていますが、タンパク質などの水溶液を30分から数時間、42、60、80℃などに加熱して、汚染している細菌などの病原体を殺す方法です。発明者の名を付けて「パスツリゼーション」とも呼ばれます。

パスツリゼーション法で60℃・10時間液状加熱されたアルブミン製剤は、第二次世界大戦後の1950年に始まった朝鮮戦争で出血した負傷者に実際に使用されましたが、この製剤の輸注を受けた患者に肝炎感染は全くみられず、その安全性が臨床の現場で実証される結果となりました。アルブミン製剤は、4.4%、5%の等張製剤、または20%、25%の高張製剤として供給され、室温で長期の保存が可能で、遠隔地への輸送が容易です。

それ以来すでに70年が経とうとしていますが、アルブミン製剤から肝炎をはじめとした感染症を起こしたとする報告はなされていません。世界のほとんどすべての血漿分画製剤メーカーは、コーンのエタノール分画法と液状加熱法を採用し、この方法で製造したアルブミン製剤を医療界に供給しています。

アルブミン製剤の製法

<富山大学診療教授 安村 敏先生(2020年3月監修)>

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